コラム
2015.11.01
新宿
こんにちは、この前書いたコラム『渋谷』に続いて今回は『新宿』について書いてみたいと思います。『新宿』と言えば何を連想するでしょう。都庁、歌舞伎町、超高層ビル、家電量販店、デパートなどでしょうか。今回は新宿区内の“何これ!?”に絞って何箇所かについて由来などに触れてみたいと思います。
『新宿区』は昭和20年の東京大空襲の後の昭和22年地方自治制度改革によって誕生します。それ以前は、『四谷』『牛込』『淀橋』の3区が存在しました。
『新宿』
新宿とは、江戸幕府が定めた五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の一つ甲州街道が、日本橋を出発して最初の宿場が高井戸と距離があり苦労したことから、のちに認められた宿場です。内藤氏が返上した屋敷地に新しい宿をつくったことから『内藤新宿(ないとうしんじゅく)』と呼ばれました。これが『新宿』の由来となります。
ただし、この『新宿』は、旅籠(はたご)屋や茶屋が増えて、岡場所いわゆる色町としても賑わったようですが、宿場に遊女を置いてはいけないということで、吉原からクレームも出ていたそうです。結局『内藤新宿』は、20年足らずで廃止され、再び旅人は高井戸宿まで約16Kmの旅路を余儀なくされます。新宿は当時も風紀を見だしていたようで、昔も今も変わらないようですね。
『歌舞伎町』
次は、歌舞伎町でしょうか。歌舞伎町はよく歌舞伎町二丁目が取り上げられたりしますが、何丁目まであるのでしょうか。なんと歌舞伎町は一丁目と二丁目のみです。四方は600メートル、この中にいろんなドラマがあるんですね。それでは、なぜ歌舞伎町と呼ばれているのでしょうか。第2次大戦後の復興事業案によって、この地に歌舞伎の演舞場が建設されるということで、歌舞伎町と名称が変わりましたが、その後の財政難で演舞場の移設は実現されず、町名のみ変わったということです。
『百人町』
百人町とは、何でしょう。百人町とは、百人組と呼ばれた江戸を警護する鉄砲隊が存在した町ということです。新宿の百人町は伊賀組です。江戸には百人組が4組あり他には青山組、根来組、甲賀組がありました。鉄砲足軽が百人配され、その腕前は相当のもの、有事に備えていたわけです。
『淀橋』
淀橋とは、神田川の上に架かる橋で青梅街道上にあります。川の向こうは中野区になります。淀橋の由来には諸説あり定かではありませんが、元々は『姿見ずの橋』『面影橋』と呼ばれていたそうです。淀橋浄水場も廃止となり、今は淀橋より『ヨドバシカメラ』が名前を残してくれています。
『四谷』
武蔵野の荒野で、谷に囲まれた中、道が1本あるのみでした。4軒の茶屋が存在していたと言われています。谷の中に4軒の茶屋、どの茶屋にしましょうか。
『牛込』
この辺りには昔大勢の牛がいたようです。
『大久保』
大久保の由来は、昔この地には川があり周りより大きな底地(窪地)であったことから、大久保と呼ばれたようです。
『神楽坂』
神楽坂の由来は諸説あるようですが、この場所で『神楽を奏した』『神楽を奏した時の音が聞こえた』などのようです。
『高田馬場』
高田馬場は、高田には地名または人名と諸説あるようですが、要は『馬場』なのです。武士が乗馬訓練するところになります。
『早稲田』
早稲田、これも諸説あるようですが、早稲田大学のシンボルにも稲が使われているので『田』から来ている説で良いのでしょうか。早くに収穫できる品種の稲が植えられていた地域だったという説です。
今回は新宿区内の地名の由来について調べてみました。どうでしたでしょうか?新宿区のみでなく、全国には色々な地名があり、どんな由来から来ているのか気になるようなこともしばしばあります。今後も地域の地名の由来について書いてみたいと思います。
2015年11月1日 10:00 AM | カテゴリー: コラム