コラム
2012.12.28
大学(私学)の起源
今回のコラムですが、現存する日本の大学(私学)の中でその歴史が古い大学を取り上げて書いていきます。現在ある各大学がいつ頃、どんな目的でつくられたのか、その前身は何という名前か、創立者は誰かなどについて情報を書き足していくというスタイルにしたいと思います。今後追加していく情報は設立年が古い順になるように挿入していきます。
慶應義塾大学
1858年(安政5年)創立。福澤諭吉が中津藩の命により江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内(現在の東京都中央区明石町)に蘭学塾を開きました。福澤諭吉は、『学問のすゝめ』で人間の自由・平等・権利の尊さを説き、新しい時代の先導者となった人で、現在1万円札に印刷されています。蘭学塾の大きな柱は「医療」と「研究」でした。この蘭学塾が慶應義塾大学の起源となります。
立教大学
1874年(明治7年)創立。米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が東京の築地に設立した聖書教育と英学教育を教える私塾の立教学校が母体となります。その後、外国人居留地37番に完成したゴシック風レンガ校舎に移転し、立教大学校と称しました。これが今池袋にある立教大学の起源となります。
専修大学
1880年(明治13年)創立。創立者である相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格の4人は、国費や藩費によりアメリカへ留学した人物でした。ニューヨーク近郊で、仲間どうし日本に経済学と法律学を教える学校を興そうと決意します。帰国後、4人の青年は専門教育課程を日本語で教える経済科と法律科を併設した「専修学校」を創立しました。これが現在の専修大学の起源となります。
法政大学
1880年(明治13年)創立。法律家の金丸鉄、伊藤修、薩埵正邦らが東京駿河台に東京法学社を創立しました。これが現在の法政大学の起源となります。1880年は日本近代法典の先駆けである刑法と治罪法が公布された年であり、近代化への道を歩み始めた明治初期の日本において、高度な法技術者を養成する目的で創立されました。日本の私学では最古の法学部と社会学部を持つことで知られています。
明治大学
1881年(明治14年)創立。岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操によって創立された明治法律学校が現在の明治大学の起源となります。3人は明法寮(のちに司法省法学校)で、フランス法の自由民権思想を学んだ青年法律家です。しかし、明治法律学校のその後の歩みは必ずしも順調ではありませんでした。資金難に苦労し、民法典施行をめぐる大論争では、結果としてフランス法系は敗北しています。明治大学は法律学校を起源としていますが、商学部、経営学部を初めて設置した私学でもあります。
早稲田大学
1882年(明治14年)大隈重信は、政変で下野した後に東京専門学校を創設しました。これが現在の早稲田大学の起源となります。東京専門学校は、日本の私立大学では最も古い段階で大学令に基づく大学となったうちの一校であり、イギリス流の政治経済学を中心とした大学です。
中央大学
1885年(明治18年)創立。18人の法律家により神田錦町に英吉利法律学校が創立されました。これが現在の中央大学の起源となります。当初は英国法に関する教育機関でした。明治維新後、文明開化のスローガンのもと急速な西洋化が進んでいきました。英吉利法律学校では、法学教育を通して近代社会に優秀な人材特に法律家の育成を目的として創設されました。
どうでしたでしょうか、興味を持っていただけましたか。大学の前身となる機関の創設には、それぞれ目的がありました。医学・研究、キリスト教の布教、法律家の育成などその目的はさまざまです。
今回のコラム『大学(私学)の起源』は、今後も情報を書き加えていくページとします。
(コラム*FPロバ)
2012年12月28日 10:00 AM | カテゴリー: コラム