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2014.11.01
七五三


 

 日本の伝統行事の一つに七五三があります。皆さんの中にも経験してきた人は多いのではないでしょうか。斯く言う私も、実家のアルバムには七五三の時の写真があります。経験はしましたが、幼かったこともあり恥ずかしながら意味などはほとんど分かっていません。ということで、今回は七五三について調べてみようと思います。

 まず、七五三はどのような行事でしょうか。
 七五三は11月15日に、七歳、五歳、三歳の子どもの成長を祝い神社や寺に詣でる年中行事(毎年特定の時期に行われる行事)です。しかし、時期や年齢などの定義が土地によって異なり画一化されてないようで、11月15日を目安にその付近で行われるとのこと。現在は全国で行われている行事ですが、元々は関東圏における地方風俗でした。
 各年齢によって同じ七五三の行事でも意味が異なります。これらは古くからの風習である三才の「髪置(かみおき)」、五才の「袴着(はかまぎ)」、七才の「帯解(おびとき)」が元になっています。こちらを簡単に説明してみますね。
「髪置きの儀」――数え年3歳(満年齢2歳になる年)の男女とも行う。江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、もう赤子でないという意を込め剃髪を終了する儀。
「袴儀」――数え年5歳(満年齢4歳になる年)の男の子が行う。男子が袴を着用し始める儀。
「帯解きの儀」――数え年7歳(満年齢6歳になる年)の女の子が行う。女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。
 というものです。
 また、七五三の儀式を3歳は言葉、5歳は知恵、7歳は歯を神から授かることに対する感謝とする地方や、3歳、5歳、7歳は子供の厄として、七五三を一種の厄祓としている地方もあるとのことです。

 

 では、なぜ七五三を祝うようになったのでしょうか。
 七五三の起源としては、天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力です。
 また、元々旧暦の15日は二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされていました。また、旧暦11月は収穫も終わり、その実りを神に感謝する月でした。満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝と子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったそうです。
 近世までの日本は、乳幼児が成人するまでの生存率は低いものでした。その原因には、栄養不足や医療知識の不足などがあります。そのような背景から、乳幼児の生存を祝う節目として七五三が定着しました。男児が女児よりも早く祝うのは家の後継者としての意味合いもありましたが、医療技術が発達する現代までは女児よりも成長が遅い男児の方が生存率は低いものでした。そのため、昔は息災を願って男児に女児の格好をさせることもあったようですね。近代以前は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、数えで七歳くらいまではまだ人としての生命が定まらない「あの世とこの世の境に位置する存在」とされていました。魂も「いつでも神様の元へ帰りうる」ものという扱いでした。そのため、一定の成長が確認できるまでは、人別帳(昔の戸籍)にも記載せずに留め置かれ、七歳になって初めて正式に氏子として地域コミュニティへ迎え入れられたそうです。この考え方からだと、人として成長していくための通過儀礼の一つでもあったのでしょうね。

 今回は七五三について書いてみましたがいかがでしたでしょうか。自分が何気なく経験してきた行事でしたが、調べてみるとやはり新たな発見があって面白いです。地域差もあるようなので、比較などをしてみるのも面白いかもしれませんね。

 

(コラム*カワセミ)

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